愛媛県松山市の萱町商店街に佇む学習塾affettiの塾長、孕石です。

皆さんは、「みんなの学校」という映画をご存じですか?
まだ観られてない方はぜひ見ていただきたいドキュメンタリー映画です。
今回は、「みんなの学校」から学んだことと「とある愛媛の中学校」から感じた悲惨な現状を余すことなくお伝えしたいです。鍵カッコは木村先生の言葉ですが、それ以外は僕が考えていることです(笑)
木村先生のお話を通算10時間くらい聞いているので、多少ズレはあっても9割方合っていると思います。ぜひ、教育関係者の皆様、参考にできるところありましたら取り入れてみてください!!

【文句はNG、意見はオールオッケー】
入学式の日に木村先生は、保護者の方にこう伝えるそう。

「今日から皆さんは保護者ではありません。大空小学校のサポーターになってもらいます。」

自分の子どもだけを見るっていう感覚を脱ぎ捨ててもらうこと。小学校に通う子どもたちを支える側になってくださいと伝える。

からの、
「文句はNG、意見はオールオッケー」
と釘を刺す。

この二つの言葉で、世の中変わっちゃう。
誰もが当事者意識を持てるようになる魔法の言葉。

文句は聞きませんっていうスタンスを取ることで、相手が変化せざるを得ない。
なるほど!!

【良い教職員の条件!?】

「子どもから学ぼうとする授業をしているかどうか」

教えよう教えようとする先生は、正直めんどくさい。
そしてどうしても上から目線になってる。
何がいけないかっていうと、何かを無理やり押し付けられると人は苦しむから。
愛情だろうが、学びだろうが、上手くいなせないとまじで苦しい。

教職員のスタンスは、本当にそうあって欲しいもの。

そして大空小学校の教職員は迷ったときに、子どもに聞くと言っている。
この関わり合いをしている教職員の方、いらっしゃいますか?

【自分の命を守る、隣の人を大切にする】
大空小学校には一つの約束と四つの力がある。

「自分がされて嫌なことは、人にはしない」という約束。

①人を大切にする力
②自分の考えを持つ力
③自分を表現する力
④チャンレンジする力

これらの力をつけるために、子ども達は学校に通っている。
身に付けて欲しい力が明確にあるので、教職員たちは小さなことは気にしない。
たとえ授業中に騒いでいても、怒鳴りつけることなんて一切しない。
優しく寄り添う姿だけが、僕の脳裏に焼き付いている。

授業が遅れてしまうことに苛立つことなどありえない。
一年かけて終わればいいので、また授業を組み立て直せばいいと思えるから。

これも全て、子ども達に身に付けて欲しい力が明確だから可能なこと。
目的と手段を履き違えることなく、手段に固執することもなく、「本当の学力」を最優先にしているからこそ為せる業である。

【とある愛媛の中学校の話】
少し脱線するが、第9回四国のジレンマでも伝えた話をもう一度したいと思う。
愛媛大学の教育実習生が自動車の正面衝突で亡くなるという事故があった。

心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、僕にとってこの事実は悲劇でしかない。

これを伝えることは、関係各所にとって迷惑な話でしかないですが。。。

亡くなる前日、彼は教育実習中に失踪したと聞いている。
実習生総出で遅くまで探したが、発見することなく翌日のニュースで彼のことを知ることになったみたい。

僕が怒りを感じたのは2点。

一つ目が、事故の直接の原因になったとは、断定できないが、失踪しなければならないほど追い詰められていたという事実。
2つ目が、学校全体で今回の件について、話し合われていないという事実。

学校特有の空気感がある。毎日中学・高校に通う子ども達と接している僕は間接的だが、常に感じている。
「今日、スカートがちょっと短いだけでめちゃくちゃ怒られた」
「体育座りしながら、砂いじっていたら怒号が飛んできた」
果たしてそこまで怒鳴ることだろうか?

常人の感覚から逸脱している「先生」が少なからずいる。
そして、その「先生方」が人の感情を殺し、ときに学校に行くことを怯えさせ、命を奪うことさえある。
今回も、同じ学校に通う教育実習生の話を聞く限りそんな一面があったと感じている。

大人でさえ、三週間足らずで逃げ出したいと思うような教育現場であることを再認識して欲しい。表に出したくないのは分かるし、出したところでどうにもならないのも分かる。
でも、それでも二度と同じことが起きないように実習生含めた教職員全員で話あったかどうかを問いたい。

というかしてないって聞いてる。

人が死んでるんだよ!!わかりますか??

今のままでは、「人を殺すような空間」がそのまま存在しているってこと。
それは何がなんでも最優先でなくそうよ。

僕が今できることは、少しでも多く子ども達にとって「安全・安心」な居場所を作ることだ。
今の学校に期待して、さっきみたいに叫ぶよりも価値があるはずだ。
二店舗目のメドがたった今、覚悟が今以上に重く強くなるのを自分の内側から感じる。

【先生と呼ばない理由】
ここでガッと話を戻すが、大空小学校では先生と一括りに呼ぶことはない。教職員と呼んでいる。子ども達にも徹底していることの一つである。(教職員同士がそう言い合うことで、自然とそうなったらしい)

学校には様々な大人が関わっている。その中で「教職員」のみをいわゆる「先生」として括るのに違和感を感じているとのことだ。

僕は20歳から家庭教師を始めたおかげで、五年間も先生と呼ばれている。
「先生たるもの完璧であらねばならぬ」という感覚が世間一般的に蔓延している気がする。
その圧力から解放されたのは、自分で開業してからになるが、、、。

先生と呼ばれるからこそ、僕らは不完全を見せるべきだと思う。
否、僕ら大人は不完全である。不完全を隠さずに、曝け出す勇気を持つことが大切だ。

先生という大人を特別視してしまうおかげで、ある意味アイドル化している教職員たち。
あくまで一つの役割を担うものとしての自覚とそれに相応しい記号をつけて行くことが勘違いを無くしていくきっかけの一つとなり得るだろう。

今回の事故も、そんな「先生」という言葉の産物かもしれない。

【学校の在り方】
実は、今回税所篤快さんとのご縁で、元校長の木村先生や他にも凄すぎる人たちとラジオ収録をしてきた。かなり長丁場の収録だったが、学び、学び、学びしかなかった。
こんな凄い方が日本にこんなにいるなら、俺がすることないじゃんって正直思ってしまう部分もあった。

でも、それは違うことに気づく。

僕の目の前で起こっていることは、僕にしか解決できないということ。
誰かがどうにかしてくれるっていう他力本願さが、また知らない誰かを殺していく。

「サポーターになること」「意見しか言わさないこと」

当事者にならざるを得ないこの言葉に、今回の事故は重く大きくのしかかる。

全ての学校が大空小学校になったらいいのに…
では、何も解決しないのだ。マニュアル化することにも意味がない。

関わる全ての人が、当事者として意見し行動で支え合う。
その意識を紡いでいくことが、結局のところ解決策なのである。

読者の方は「こんな言葉は具体的ではない」と思うかもしれない。

ここでは敢えて、ザックリ言わせてもらう。
「そう思う批判的な心が間違っている」と。

僕は、僕の目の前の課題を自分なりのやり方で解決していく。

具体的にするのは、「目の前に問題がある」あなたなのだから。

投稿者プロフィール

affetti
学習塾アフェッティ塾長が主に書いているブログ。
愛媛新聞(スマイルピント)ピントゼミナールゼミ長・松山市自殺対策推進委員会委員
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U29出演・おはよう四国・greenz・愛媛新聞・朝日新聞・南海放送・他多数
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愛媛大学・愛媛県教育研究協議会・市内小学校・四国若者1000人会議・まつやま経営プラザ・他多数