幸せになってほしい、が関係性を壊していく

最近、そんな風に考えています。

過去の記事やパンフレットを見返しても、幸せについてはずっと語ってきました。

「子どもたちの幸せを第一義的に考えよう」とも訴えてきました。

でもこのふわふわした言葉が、子どもたちに響かないことも感じてきました。

塾生は半々くらいで、エルート生はどうだろう、ほとんど響かないです。

なぜかというと、幸せが遠すぎるから。

日々の幸せに気付いていこうなんて言おうものなら、子どもを凹ませてしまうこともある。

もう一つは、幸せという言葉が、主観もしくは常識(と言われるもの)で語られがちだからでもあります。

結局、子どもは幸せ像を押し付けれただけという会話の感想になってしまいます。

幸せの前提とは?

そもそも幸せとはなんなのかというところから説明すると、

(後で埋める)

つまり、幸せは自由の上に成り立っていることになります。

自由とは何かというと、

(後で埋める)

そこで一旦現場に目線を戻すと、かける言葉が変わってきませんか?

自由に生きている子どもに対して、幸せになるために○○しよう!は想像できるし、なんなら幸せについて一緒に考えることもできると思います。

では「死にたい」と思っている子たちに同じことを言えますか?

言えないけれど、思考の出発点は同じではないですか?

幸せになってほしい→自由になってほしい

と思考の出発点を変えることで、子どもの不自由と向き合うことができるし、自由へのサポートをするにはどうしたら良いかという発想になると思います。

何よりも子どもたちは、幸せの前に自由を望んでいます。

続く、、、

 

 

投稿者プロフィール

affetti
学習塾アフェッティ塾長が主に書いているブログ。
愛媛新聞(スマイルピント)ピントゼミナールゼミ長・愛媛大学愛媛学ゲスト講師・松山市自殺対策推進委員会委員・第1回松山市人間力大賞受賞・第32回【青年版国民栄誉賞】人間力大賞(特別会頭賞受賞)
<<メディア実績>>
U29出演・おはよう四国・greenz・愛媛新聞・朝日新聞・南海放送・他多数
<<講演実績>>
愛媛大学・愛媛県教育研究協議会・市内小学校・四国若者1000人会議・まつやま経営プラザ・他多数