幸せになってほしい、が関係性を壊していく

最近、そんな風に考えています。

過去の記事やパンフレットを見返しても、幸せについてはずっと語ってきました。

「子どもたちの幸せを第一義的に考えよう」とも訴えてきました。

でもこのふわふわした言葉が、子どもたちに響かないことも感じてきました。

塾生は半々くらいで、エルート生はどうだろう、ほとんど響かないです。

なぜかというと、幸せが遠すぎるから。

日々の幸せに気付いていこうなんて言おうものなら、子どもを凹ませてしまうこともある。

もう一つは、幸せという言葉が、主観もしくは常識(と言われるもの)で語られがちだからでもあります。

結局、子どもは幸せ像を押し付けれただけという会話の感想になってしまいます。

幸せの前提とは?

そもそも幸せとはなんなのかというところから説明すると、

(後で埋める)

つまり、幸せは自由の上に成り立っていることになります。

自由とは何かというと、

(後で埋める)

そこで一旦現場に目線を戻すと、かける言葉が変わってきませんか?

自由に生きている子どもに対して、幸せになるために○○しよう!は想像できるし、なんなら幸せについて一緒に考えることもできると思います。

では「死にたい」と思っている子たちに同じことを言えますか?

言えないけれど、思考の出発点は同じではないですか?

幸せになってほしい→自由になってほしい

と思考の出発点を変えることで、子どもの不自由と向き合うことができるし、自由へのサポートをするにはどうしたら良いかという発想になると思います。

何よりも子どもたちは、幸せの前に自由を望んでいます。

続く、、、

 

 

投稿者プロフィール

affetti
学習塾アフェッティ塾長が主に書いているブログ。

一般社団法人フリースクール愛媛 代表理事 
(フリースクールエルート理事長)
・愛媛県フリースクール等連絡協議会 代表
・NPO法人えひめ放課後協力機構 理事
・(愛媛県校内サポートルーム設置事業における)
不登校児童生徒等支援連絡協議会  委員

静岡県生まれ。
2012年4月、愛媛大学在学中に「対話」と「自立学習」メインの学習塾「学習塾アフェッティ」を開塾。
2019年4月、平日昼間の学校以外の学び場の重要性に気付き、「フリースクールエルート」を開所。

2015年、“未来を切り拓く29歳以下ニッポン代表”としてNHK(Eテレ)U29で特集される。
2017年より愛媛新聞ピントゼミナールゼミ長として「次代を生き抜くメッセージ」の連載中。
第1回(2018年)・第2回(2019年)松山市人間力大賞受賞。
2018年、第32回人間力大賞(青年版国民栄誉賞)会頭特別賞受賞。
2022年、フリースクールエルートでの取り組みが、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』文藝春秋(石井光太著)に紹介される。
<<メディア実績>>
U29出演・おはよう四国・greenz・愛媛新聞・朝日新聞・南海放送・他多数
<<講演実績>>
愛媛大学・愛媛県教育研究協議会・市内小学校・四国若者1000人会議・まつやま経営プラザ・他多数