こんにちは、塾長の孕石です。
かつて私も「叱ることは、本当は必要なんじゃないのか」と心のどこかで思っていたことがあります。
そんな私も10年くらい前に(おそらく)一度だけ、意識して(わざと)叱ったことがあります。
そのときの塾生の顔を見て、叱ることを封印しました。
でも、心のどこかで叱ることが必要なのではないかと思っていました。
そんな中でも保護者の方から「厳しく叱ってください!」や周りの教育関係者は「怒ると叱るは違う、子どもたちは叱らないと分からない!」の声は続きました。この時期は、アドラー心理学に触れていた時期で「叱るも怒るも、相手に自分の言うことを聞かせる目的だから同じような行為である」(という私の理解)がしっくりきていたため、そこまで相手にしませんでした。また「相手を威圧するコミュニケーションは、人として未熟である」(という私の理解)もあったため、ここらで徹底的に対等な立場で対話ができる雰囲気を作ろうと決意した時期でもあります。つまり8年前くらいには「叱らないのは、当たり前」だと思っていました。
その後、「マルトリートメント(不適切なかかわり・養育)」や「叱る依存がとまらない」に触れる中で、ようやくに日常において心のどこにも叱ることが必要なのではないかという疑問は無くなりました。
ここにきてですが、叱るの定義は、「言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖・不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為。」<叱る>依存がとまらないの村中先生の秀逸な言葉を借りようと思います。
アドラーのときもそうでしたが、「叱る」ことの効果は、「危機介入」としての効果とあると言われています。先ほど、”日常において”と書いたのはそれが理由で、「叱る」ことにも効果が一定程度あるということです。一刻も早く状況を変えないといけないタイミングにおいては、「叱る」ことに効果があります。しかし、それ以外の場合においては効果が薄く、叱られる側の行動変容は、「苦痛からの回避」でしかありません。つまり適切な行動を学ぶことがないので、同じような不適切な行動を繰り返すということです。
みなさんが当たり前だと思うには、情報が少々足りないかもしれませんが、数冊周辺の本を読めばそうかもしれないと思うかもしれません。
では、このへんで。
投稿者プロフィール
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学習塾アフェッティ塾長が主に書いているブログ。
一般社団法人フリースクール愛媛 代表理事
(フリースクールエルート理事長)
・愛媛県フリースクール等連絡協議会 代表
・NPO法人えひめ放課後協力機構 理事
・(愛媛県校内サポートルーム設置事業における)
不登校児童生徒等支援連絡協議会 委員
静岡県生まれ。
2012年4月、愛媛大学在学中に「対話」と「自立学習」メインの学習塾「学習塾アフェッティ」を開塾。
2019年4月、平日昼間の学校以外の学び場の重要性に気付き、「フリースクールエルート」を開所。
2015年、“未来を切り拓く29歳以下ニッポン代表”としてNHK(Eテレ)U29で特集される。
2017年より愛媛新聞ピントゼミナールゼミ長として「次代を生き抜くメッセージ」の連載中。
第1回(2018年)・第2回(2019年)松山市人間力大賞受賞。
2018年、第32回人間力大賞(青年版国民栄誉賞)会頭特別賞受賞。
2022年、フリースクールエルートでの取り組みが、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』文藝春秋(石井光太著)に紹介される。
<<メディア実績>>
U29出演・おはよう四国・greenz・愛媛新聞・朝日新聞・南海放送・他多数
<<講演実績>>
愛媛大学・愛媛県教育研究協議会・市内小学校・四国若者1000人会議・まつやま経営プラザ・他多数
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